奪われ続ける女

「日本人のことすごく嫌いだって言ってる女の人がいるんですけど、会いたいですか?」

中国人の同僚にこう聞かれた時、思わず「は?」と、顔を顰めてしまった。

会いたいわけがない。何をされるか分からない。一体どういうつもりでこんなことを聞くのか。

そんな私の心が透けて見えたのか、彼女は慌ててこう付け加えた。

「昔日本人に酷いことをされたみたいで、そのことが原因で呪術にのめり込んだっていう話なんですよ。ツカサさん、こういう話好きですよね?」

 

かくして、彼女と共に件の女性を訪ねることになった。

当日は同僚の他にもう一人、知らない中年女性が一緒だった。どうやら彼女がアポを取ってくれたらしい。

彼女からは「一言も喋るな」と何度も念を押された。

私の中国語が壊滅的なレベルだからだ。口を開いたが最期、例の女性に私が日本人だということがバレてしまうからだろう。

 

職場から車で十数分。その人の家は案外近い場所にあった。

思い描いていた通りの典型的な中国の田舎の家だった。古くて質素で貧しさが染み込んでいる。

家の中で静かに私たちを待っていた彼女は60代か、或いは70代に見えた。見るからに幸せではなさそうな彼女を前に、私はなぜか申し訳ない気持ちになった。不幸せの原因が日本人だと聞いていたからだろう。

連れの二人が挨拶をする。私は会釈だけに留めた。ほんの短い言葉”你好”さえ発する勇気はなかった。

彼女も何か挨拶をしていたようだが、南方の訛りが強く私は全く聞き取れなかった。

 

さて、本題の呪術についてだが、彼女がそれに傾倒していった理由は聞いていた通り、一人の日本人が原因だった。

話によると大学生の頃ヨーロッパのとある国に留学していたそうだ。そこで知り合った現地の男性と恋に落ち結婚の約束までしていたのだが、彼が最終的に選んだのは日本人女性だった。

貴重な20代の半分以上を捧げた、彼女にとって初めての相手であった彼に捨てられた。

その時の彼女の年齢は当時の中国の結婚適齢期をとうに過ぎていた。

以来、彼女は道教の道士に教えを乞い、自身を捨てた彼と彼を奪った日本人を呪い続けているのだという。

やり方は人型の紙を使ったものから動物を殺すものまで様々だそうだ。何を道具にするにしても一番大事なのは集中することなのだとか。1日の大半を、二人を恨むことだけ考えて呪いに集中する。

そうして彼女はもう何十年も恨み呪い続けているのだろう。

白髪交じりの艶のないがさがさの髪を見て、私はやはり申し訳ない気持ちになった。会う前は呪いに使う道具でも見せてくれたらいいな、などと考えていたのだがとっくにそんな気持ちは沈んでいた。

話を聞かせてもらったお礼もそこそこに、私たちは逃げるように家を出た。

そこで私はやっと口を開くことができた。

「ご家族は止めたりしないんですかね」

「あの人、もう家族いませんよ」

予想していた答えだった。きっと彼女は一人きりなのだろうと思っていた。

聞けば、元々は母親と二人暮らしで近所には姉一家が住んでいたそうだ。その頃はまだ仕事もしていたのだという。ところが失恋後、職を失った。更に母親が病に倒れ、次に姉の夫が仕事中の事故で、それから子供たちが海難事故で亡くなった。姉も去年亡くなったそうだ。理由は教えてくれなかったらしい。

これも、私の予想通りなら一連の不幸は彼女が呪い始めてから起こったのではないだろうか。

 

呪いは彼女を慰めるどころか更なる不幸へと導いているように見えるのだが、呪いの対象者は一体――

 

「日本で元気に暮らしてますよ。あれ? 言ってませんでしたっけ? ツカサさんの前任の人ですよ」

そういえば、前任者は妊娠を機に仕事を辞めたと聞いている。相手は例のヨーロッパ人男性のようだ。現在は二人目も生まれて家族四人、日本で幸せにしているという。

遥か遠い昔の話だとばかり思っていたが、ここ数年の間に起こったことなのだ。

老婆のような外見だがおそらく私と同年代だろう。

この先何十年も彼女は呪うことに人生を費やすのだろうか。

次に彼女から奪われるのは何なのだろう。