キシロク

大学院で研究をしていた頃の話。

ある日、研究棟の1階にあるパソコン室へ降りるためエレベーターに乗った。

すでに先客が2人いて何やら研究について話している。
「だからね、自殺した人の記録が残っているんですよ。キシロクといって。どこで誰がどういう状況で死んだか、すべて分かる。例えば首をつっていたのか、とか、服毒自殺だったのか、とか」

おそらく50代だと思われる穏やかな教授のような紳士と、彼の学生だろうか助手だろうか、30代くらいの地味な女性。
女性は熱心に紳士が話すキシロクについて聞き入っていた。

1階についてエレベーターを降りてからも2人はキシロクの話を続けていた。

気持ち悪い研究だな、と思った。

しかしその教授に見覚えはない。
同じ研究棟にいる人たちのことは大体把握しているのだが、一度も見たことがないのである。

さらに、その研究棟にいる教授たちの中に人間の生死についての研究を行っている人はいない。
院では「現代オカルト概論」なる愉快な講義もあるのだが、それは遠く離れた別のキャンパスでの事。

別の大学の教授だったのかもしれないということにして、パソコン室での執筆に集中した。

それから数時間後、同じゼミの学生とカフェに休憩しに行くことになった。
キャンパス内に1つしかないカフェなのでいつもは混んでいるのだが、さすがに夜間は閑散としている。

店の奥にあるゆったりとしたテーブル席で、仲間と楽しい時間を過ごした。
十分に息抜きできたしそろそろパソコン室に戻ろうということになった。

カップを手に席を立つと、先ほどまではいなかった男女の2人組がいるのに気がついた。

通り過ぎる時に男性の声が耳に入ってきた。

「………えば、首をつっていたのか、とか、服毒自殺だったのか、とか」

後で一緒にいたゼミの仲間に聞いたところ、2人組の姿はきちんと見えていたらしい。
話の内容までは聞き取れなかったようだが、私の幻覚というわけではなさそうだ。

既死録なのか、あるいは愧死録なのか。
自ら希望して死を選んだということで「希死録」という可能性もある。
あれからキシロクという単語について調べてはいるが、いまだに手がかりが掴めないでいる。

 

Products from Amazon.co.jp

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA